できる方が縮こまる
先日、新しい出会いがありました。
とあるご縁でお会いした保護者世代の女性。
仕事の話が高じて、学生時代の話となりました。
その方が言うには、
「私は正直できる方だったけど、それを隠さないといけなかった。
テストで100点を取ってもそれを喜ぶと『自慢している』と受け取られ、
かと言って隠していると『100点取ったのに隠しているなんて嫌味だね』と思われる。
結局、100点なんて取ってはいけないということになってしまうんです。
だから勉強してもつまらなかったですね」
その感覚、全く同感です。
なぜか小学生や中学生のある時期は、
できる方が縮こまらないといけない。
あれは正直よく分からないですね。
縮こまるだけならいいのですが、
それで結局自分の能力を伸ばすことに消極的になったらもったいなくないですか?
その力、まだまだ伸ばせるでしょ?
本当に助けが必要だったのはどっち?
これは数年前にある中学校で実際にあった話です。
その学校に素行の悪い生徒がいました。
ある日、その生徒が正規のものではない制服を着てきたらしいのです。
で、校門でそれを注意した1人の先生が、その生徒を車に乗せて家に連れて行き、着替えさせてから学校に連れ帰ったそうです。
乱れた服装では学校の中に入らせない毅然とした態度だとも受け取れますが、過保護な対応だとも受け取れます。
その一方で、同じ日の昼過ぎ、ある女生徒が学校で高熱を出しました。
この生徒が私の塾の生徒だったのですが、普段から何事も真面目に一生懸命こなすいわゆる「いい子」でした。
きっと学校の先生もこの子なら大丈夫と思ったのでしょう。
学校を早退することになり、その生徒はひとりでとぼとぼ歩いて帰ったそうです。
そして、その子が家に帰って体温を測ると、なんと39.0度を超えていたのです。
さて、この場合、本当に車で送らないといけないのはどちらだったのか?
役割の違い
こういう話をすると、どうしても学校批判ととらわれがちですが、そのつもりもないのです。
単にそれが公立中学校の役割なのだろうと思っています。
多種多様な生徒が在籍する公立中学の中では、その中でうまくやれない生徒をまず救ってあげなくてはいけない。
そして、そちらの方が手間がかかるので、結果的に問題がなさそうに見える子が放っておかれがちになるだけです。
それは幾分仕方がないところもあるでしょう。
公教育である以上、ある種の必然です。
学校の先生たちは役割を果たしているだけなのです。
では、比較的問題がなさそうで、放っておかれている生徒はどうするのか。
私塾である私たちが請け負います。
少なくともMoveはそのためにある塾です。
冒頭の女性のように、できることに後ろめたさを感じ自分の能力を堂々と伸ばせない状況にあったり、
上の女生徒のように、なぜか「あなたは大丈夫」と言われ、助けが必要なときに放っておかれたり、
そんな状況にある生徒は是非Moveにいらっしゃい。
Moveでは、
自分の能力を伸ばすために頑張ることが是であり、
そうしない子が白い目で見られる場であり、
在籍する全員が安心して頑張れる場です。
ボトムアップ or プルアップ
最後に、これは先日ある高校の先生から教えてもらったことですが、
集団教育のあり方は2種類あるそうです。
すなわち、
できない子たちを底上げするボトムアップ方式。
あるいは、
できる子たちをさらに引っ張ってあげるプルアップ方式。
どちらが優れているわけではありません。
両方が必要なことであり、巨大な組織であれば両方できないといけないのかもしれません。
ですが、Moveは今のところ小さな塾ですので、プルアップの役割を担おうと思います。
ハンカチの画像はプルアップのイメージです。
上位を目指して前向きに頑張ろうとする生徒たちをさらに引き上げるのが私たちの役割なのです。
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