デカルトと迷路

 

こんにちは。

慣れない自撮りをやってみたけれど、イマイチどんな顔をしていいのか分からないです。

(後ろを歩いているのはうちの奥さんです)

 

今週は息子の通う小学校が「学校に行こう!」週間らしく、「お父さん、学校に来てよ」と息子(小2)が言うので、そんな可愛いことを言ってくれるうちに行っておこうと、今朝30分だけ小学校にお邪魔してきました。

 

小学2年生は今、九九の練習をしていますが、きちんと考え方も教えてくれる先生で安心しました。

 

 

我思う、故に我あり

 

さて、突然ですが、

 

 

 

「我思う、故に我あり」

 

 

 

 

デカルトの有名な言葉ですね。

 

 

大変簡単に言うと、これは「この世とは何か」を探求していたデカルトが「そもそも目に見えているあらゆるものは本当に実在しているのか」と疑う中で見つけた真理を表します。

 

 

 

すなわち、

 

「あらゆるものが実在するかどうかは実は疑わしいけど、そんなことを考えている自分自身が存在していることは明らかだよね。でないと、こんなこと、考えられないじゃん。

 

んで、その自分の思考とつながっている体が実在していることも明らかで、さらにその体と・・・」

 

という考え方です。

 

 

 

 

その是非はともかく、この考え方を先日、生徒に紹介しました。

 

 

 

 

 

「答えの見えない複雑なものを考える際に、最も確実なものを拠り所に、そこから思考を発展させるデカルトの考え方は参考になる。

 

ほら、僕らもよくやるじゃん。

 

ジグゾーパズルとか、複雑な迷路とかも確実なところから攻めていくよね?

 

 

 

 

と言ったら、生徒たちの顔がキョトンとしました。

 

 

 

どうやらジグゾーパズルは理解できたらしいです。

 

角(かど)や端(はし)に当たるピースからはめていき、枠を作る方法のことを指しているのは理解できると言います。

 

 

 

 

 

でも、迷路は分からないと言うのです。

 

 

 

 

 

「いやいや。迷路も確実な行き止まりから塗りつぶして、道を確定していくじゃん」

 

 

 

と言っても、そんなやり方なんてやったことがないと言うのです。

 

 

 

 

 

 

むう・・・。

 

 

 

 

仕方ありません。

 

 

実際にやってみました。

 

 

 

 

 

複雑な迷路の解き方

ネットからダウンロードした、最も複雑そうな迷路を準備。

 

こんなの勘で進んでもゴールにたどり着けるわけありません。

そこで、目についた行き止まりから鉛筆で塗りつぶしていきます。

 

黒い部分と黒い部分がぶつかったら、その先は絶対に行き止まりなので、行き止まりゾーンは増えていきます。

根気がいる作業ではありますが、

 

徐々に道らしいものが見えてくるのが快感です♫

まだ完成もしていないのに、

 

途中まで赤で道を進めるフライングをやってみたくもなります。

わーい!

 

完成です。

 

あんなに複雑そうに見えたのに、一度も迷うことなくゴールまでたどり着きました。

考える力

 

教育界では今後(特に2020年以降)は、「思考力」「表現力」「判断力」が学力の中心になると言われています。

 

 

実際に文科省がそう言っているし、大学入試改革もその方向性で進み、それに伴い高校入試もそう変化していっています。

(中学の定期テストはそれらに比べ変化が乏しいですが、先生方の工夫の跡は随所に見られるようになりました)

 

 

ただ、思考力というのはただひたすら闇雲に考える力のことを言うのではありません。

 

 

それは迷路を勘を頼りに進めるようなものです。

 

論理的に、合理的に考える方法論というものは存在し、それは遊びの中でも学べます。

 

 

 

もちろんたかが迷路ではあるのですが、ちょっとした工夫次第でデカルトに通じる思考方法につながります。

 

 

 

できれば小学生や中学生のうちに、こういう考え方にたくさん触れていて欲しいですね。