文系は論理的じゃない?

年に何回か以下のような会話を繰り返しています。


「宮脇さんって理系ですよね?」

 

「いえ。文系の経済学部出身ですよ。しかも、昔は経済史という歴史家の卵みたいなことをやっていまして、完全に文系なんです」

 

「え? でも、話し方がとても論理的じゃないですか。理系だと思っていました」


 

 

 そんな会話です。

 

 私はこう言われるのが不思議でなりません。

 

私の話し方が論理的であるかどうかは別にして、文系が論理的じゃないってどういうことなのでしょう?

 

 

文系だろうと理系だろうと、

学問はすべからく論理的であるべきです。

 

 

理系と文系の違いは、

 

理系は数式や化学式で論理を重ね、

文系は言葉で論理をつむぐ。

 

ただ、それだけです。

 

使うツールの違いだけで、どちらも論理を重ねるという意味では共通しているのです。

 

 

ですから、

文系が論理的でないという考え方は大きく的外れだと思っています。

 

 

 

味噌は大豆を発酵させるのに対し、

きな粉は大豆を砕いて使う。

 

作り方が違うだけで、どちらも大豆由来の製品であることに変わりはありません。

 

と全く関係のない事例を持ってくるくらい的外れです。

 

 

 

 

人の心を扱う心理学だって、論理的ですよね。

 

人の心の動き一つを説明するのに、色々な実験と検証が繰り返されています。

 

目に見えない世界を扱う神学だって、その前提となる世界が科学的であるかどうか議論の余地はあるにせよ、論理的です。

 

 

文系の学問はよくよく見れば、どれも論理的です。

 

 

ひょっとすると、芸術系とごちゃ混ぜにしているのかも知れません。

 

芸術も論理的な部分は大いにあるけど、最後は表現者の勘やセンスや、感情のようなもので全てをひっくり返すことができる。

 

場合によっては、そのひっくり返し方に重きを置くきらいもありそうです。

(詳しくは芸術家の方に聞いてください)

 

 

 そうした芸術系と文系の学問は明確に一線を画しておきたいですね。

 

 

一つの言葉を発するのに実験と検証、仮説と実証を繰り返し、その言葉に責任を負いながら論理を積み重ねていく。

 

それが学問というものでしょう。

 

 

そこに文系や理系の違いなんてないのです。

 

 

 

 

きっと中学生や高校生の中にも同じ勘違いしている人がいるでしょうから、きちんと指摘しておきますね。

 

 

文系の学部であろうと理系の学部であろうと、学問である以上、全て論理的です。

 

大学に進学して学問を学ぶのであれば、論理的な考え方ができることが前提です。

 

文系に進学するから論理とか関係ない、なんて馬鹿なことを言っちゃ駄目ですよ。

 

そうした考え方だと、大学に入るのも入ってからも苦労します。

 

 

 

最後に、

 

学問は全て論理的だからと言って、論理的でないことに価値がないとも全く思っていません。

 

むしろ、論理の対局にある感情やセンスも、人生でとても大切なものです。

 

そういうのをごちゃまぜにしないでどちらも大切にするのも、論理的な思考というものです。

 

 

 

この記事を書いた人

進学空間Move塾長

宮脇慎也(Shinya Miyawaki)

27歳で広島大学社会科学研究科の博士課程後期日程を単位取得退学をし、その後学習塾の世界に飛び込む。

8年間の勤務講師としてみた広島の学習塾業界のあり方と大学院で養った知見との乖離に悩み、理想の学習塾を作るべく2013年に個別演習型の学習塾・進学空間Moveを立ち上げる。

その中で、モチベーションのあり方に着目し続ける中で、キャリア教育の重要性を認識し、2018年以降は現在のTHE DOORに繋がる講演会主催活動を主催しながら、時に自身も登壇する。

1977年生。射手座。B型。

家族は妻と長男1人。趣味は広島発祥のスポーツ・エスキーテニス。