今日は、成績が上がらない面倒くさがり屋の生徒のためにお話しします。
勉強における面倒くさいという感情に対して、多くの子が勘違いしています。
それは一体何か?
勘違い その1
授業中に子どもたちにはよく言うのだけど、
私は面倒くさがり屋を自認しています。
やらないでいいことなら、
なるべくやりたくない。
事務仕事が苦手なのも、そもそも面倒くさがり屋だから。
(でも、もちろんやらないといけないんですよ)
ぶっちゃけゴロゴロしているのが好き。
時間がある時にお昼寝しているのが幸せ。
それが正直なところ。
そんなことを思うなんて人として間違っている、
なんて言わないでくださいね。
塾の先生だからといって、
社会人だからといって、
「面倒くさい」という感情がなくなるわけがない。
むしろ、
この「面倒くさい」という感情を素直に認めることが出発点。
「面倒くさい」なんて思っていはいけません!
なんて無茶言うな、という話です。
発想としては、逆でしょう。
確かに面倒くさいね。
だから、どうするの?
こっちの発想の方が健全だ。
それが子どもたちが陥っている第一の勘違い。
面倒くさいを認める。
そして、その面倒くささを知恵を絞って全力で回避する。
そのためにどうするか考える。
ただし、課題はクリアする。
課題をクリアしないと、もっと面倒くさいことになることは自明だからね。
要するに、
面倒くさいのだから、それをどう克服しようか、そこに頭を使おう。
そのためには、面倒くさいことを素直に認める。
そこが出発点なのです。
勘違い その2
そして、二つ目。
こちらの方が、勉強が苦手な子にとっては深刻かもしれない。
勉強において、一体何が面倒くさいか?
ここをとらえ間違えている人は結構多い。
なるほど、作業系の宿題は確かに面倒くさいね。
漢字をノートにひたすら書くとか、
英単語をひたすら書くとか。
でもね、
勉強において最も面倒くさいことは、
そんなわかりやすい話じゃない。
勉強が苦手な人が、
本当は面倒くさいと感じているはずなのに、
認めようとしない真に面倒くさいこと。
それは、
ごちゃごちゃしたものを、
ごちゃごちゃしたまま頭の中で考えること。
それが一番面倒くさい。
もう見ていて、信じられないことするな〜と思う。
こんなにごちゃごちゃしたものを、
なんで頭の中でだけで考えようとするの?
ウソでしょ?
このままだと訳わかんないじゃん。
そんなごちゃごちゃしたものを
頭の中だけで考えたって、
ごちゃごちゃするだけで、
考えがまとまるわけないじゃん。
なんで、そんな面倒くさいことに挑戦するかな?
面倒くさいことが好きな人なのか?
だとしたら、僕とは気が合わない。
僕らの課題は、
そのごちゃごちゃした問題を解決すること。
その目的のために、
ごちゃごちゃしたものを頭の中だけで考えるなんて、
正気の沙汰じゃない。
書いてください。
書いて整理してください。
ごちゃごちゃしたものについて思考を前進させる方法は、基本的に3つ。
整理と抽象化と分析。
抽象化と分析については、
少し難しくなるから、ここでは触れない。
でも、整理は誰にでもできる。
まずは書きなさい。
書いて整理して、目で見て考えてください。
ごちゃごちゃ考えて、
考えがまとまらず、
結局何も話が進まないのであれば、
ちゃっちゃと書いて、
整理つけて考えた方がよほどいい。
え〜。
書くのが面倒くさい?
そこが君たちが勘違いしているところ。
ごちゃごちゃしたことを、
いつまでもごちゃごちゃと考える方が、
よほど面倒くさい。
書くことで整理がついて、
思考が進むのであれば、
そっちの方がよほどいい。
書いて整理して、
思考を楽にして、
その余力でより高度なことを考える。
目的は履き違えない。
僕らは自分の学力の向上のために、
真に面倒くさいことを回避する。
そのためにまずは書く。
え?
書き方が分かんない?
まずは書いてみたら。
そうしたら、書き方を教えてあげる。
え? なに?
まあ、いいからはよ書け。
コメントをお書きください
ヨコたん (日曜日, 19 2月 2023 09:40)
楽しく、でもグサグサ刺さりながら拝読しました^_^
まあいいからはよ書け
最高の一言です^_^
私もごちゃついた案を
書いて整理をつけてみます❣️
ありがとうございます♪