現在9名(実質10名)
まずいつも通りお知らせです。
10月17日(日)は年に1度の脳内視力簡易検査会です。
・本を読むのが辛い
・集中力が続かない
・目が痛くなる
・肩が凝りやすい
・偏頭痛がする
その原因はこの脳内視力にあるかも知れません。
15名限定で募集している脳内視力簡易検査会は、
キャンセルがあったものの、別の方にお申し込みをいただき、
現在変わらず9名です。
ありがとうございます。
あと実質5名です。
全ての人に必要なものとは全然考えていませんが、辛い思いをしている人は本当に辛いはずです。
そんな方が一人でも楽になることを願っています。
気になる方は、下のバナーからお願いします。
勉強の苦しさと身体的苦しさを混合しない
さて、ここからが本題。
ひょっとすると今日は強い語調になるかもしれません。
感情的にちょっと昂っています。
もし言葉が強く感じてもご容赦ください。
「学力を高めていく中での学問的苦しさと、それを伴う身体的苦しみを混合しないでください」という話です。
ほぼ結論を最初に言ってしまったので、あとは補足説明になるのですが、本当に大事なことです。
そもそも勉強は楽しいもののはずです。
知らなかったことを知ること。
分からなかったことが分かること。
それらが有機的に結びついて、知識の外に思いを馳せること。
人に説明して分かってもらうこと。
学友と議論し新たな知見を得ること、あるいはその議論そのもの。
こうした勉強を通じた知的体験は楽しいものです。
そんなことはない、という人がいれば、それはその人の勉強不足か、勉強の方法が根本的に間違っていることが原因です。
繰り返します。
勉強は本来的に楽しいものです。
ただ、それを得るために苦しさを伴うのも事実です。
分からないことがいつまで経っても分からないこと。
知らないことが想像以上に大量にあり、呆然としてしまうこと。
努力しても努力しても自分の学力が上がっていないような錯覚に陥ること。
ともに励む友人がいないこと。
にも関わらず、学問を突き詰めようとする孤独感。
そうやって、勉強には苦しさが伴うのも事実です。
ただし、これらの苦しさは、上の学業が楽しさを知るために必要な試練だと言えるものです。
勉強に伴う本来的な苦しみとも言えます。
でもね、
それらの勉強に伴う苦しみと、身体的苦痛は区別しなくてはいけません。
どうも「勉強は苦しいもの」というイメージがあるのか、勉強にまつわる全ての苦しみは我慢しなくてはいけない、と考える人がいるようです。
頭が痛いのに勉強を続けるのは、本来的に勉強に伴う苦しみではありません。
惰眠を貪るわけではなく、勉強中に眠たくなり、頭がふらふらしている状況で勉強し続けるのも、本来的に勉強に伴う苦しみではありません。
脳内視力に課題を抱えて目が痛く、それに伴って頭が痛かったとしても、それは本来的に勉強に伴う苦しみではありません。
そんな我慢をしたところで、学力は上がりません。
塾で一生懸命勉強している生徒が、時折メガネを外し、目頭を抑え、頭が痛くてうつぶしているのを「そんな痛みは我慢しろ」なんて言えません。
ましてや、お前の根性や集中力が足りない、なんて口が裂けても言えません。
言えるわけがないんですよ。
その痛みが本当に辛いものだと、僕は知っているから。
これ、分からない人には分かりません。
今日もそんな場面に出会いました。
今日の授業中に、目と頭が痛そうにしている生徒に、脳内視力の検査にくるように勧めました。
ですが、その生徒は
「お母さんが『それだけの人がいるだったら、行かなくても大丈夫じゃない?』って言ってた」
と、教えてくれました。
きっと「脳内視力は世の中の3分の1の人が抱えている課題だ」と、先のブログで僕が書いたことを指しているのでしょう。
松本先生の著書にもそのように書いているので、おそらくその通りなのですが、だから大丈夫かどうかなんてどうして言えるのか。
多分お母さんはその苦しさがどれほどのものか知らないのでしょう。
けれど、僕は知っています。
目の前で、頭が痛いのに、真面目に一生懸命勉強しようとするその子に、もっとがんばれなんて僕は言えない。
僕の願いは単純です。
そんな身体的痛みを取り除いて、ハンデをなくし、少しでも楽な状態で勉強に向き合える環境を子どもたちに提供したいだけです。
だから、どれだけ需要があるか分からないと思いつつ、一人でも救えたらそれでOKと思い、赤字覚悟でこの簡易検査会を開くのです。
別に脳内視力(視覚視機能)だけが問題の原因とは全然考えていません。
それ専用のメガネだけが解決方法でもないでしょう。
(メガネに貼るシールが存在することも知っています)
別になんだっていいんですよ。
生徒たちが感じる苦しみが解消してあげられるなら。
ただ、
勉強の本来的苦しみととは違う身体的苦しみを我慢して勉強し続ける理由を、僕は知りません。
そんな苦しみをわざわざ感じなくても、勉強は本来的に苦しみを伴うものです。
その先には勉強の楽しさがあるわけですが、その苦しみは乗り越える必要があるもの。
その高い壁を乗り越えるためにも、身体的な苦しみというハンデはあらかじめ取り除いてあげるようお願いします。
お子さんが勉強の本来の苦しみとは異なる苦しみを訴えてきたのであれば、どうかその悩みと向き合っていただきたいのです。
そうでなくても、彼らは十分高いハードルに挑戦しようとしているのですから。
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